悲劇のヒロインを脱ぎ捨てよ!
尊敬する女性経営者の方と
話しているときのことです。
「自分が幸せになってはいけないっ
て、思っていたみたいなんです」
と言うと
「子供に、幸せになって欲しくない
と願う親がいると思う?」と言われ
ハッ、とさせられました。
……
いろいろあって、子供の頃は心を
開けなかったので
自分の話はしない
聞き役に徹する
相手を喜ばせる
そんなことばかりしてきました。
だからでしょうか、
話を聞いて欲しい人が周りに
集まってきました。
でも、そんなことをずっと繰り返して
いくうちにつらさが増していきました。
うまく言えないのですが
自分がすり減っていくような
虚しさがありました。
こんな悶々とした時間の中から
発見したことは
「自分が、
自分を祝福していない」
ということでした。
「自分が自分をないがしろにしている」
そのことに
ずっと怒り続けてきたことに
気がついたのです。
「自分を押し殺しながら生きてきた」
そのことに
ずっと、
悲しんでいたことに
気がついたのです。
自分を怒らせ自分を苦しめてきたのは
誰でもない
自分だったのだと
気がついたのです。
どこかに敵を作って
戦っていたかったのかもしれません。
わたしの中にある攻撃性を隠すように
人あたりのよさそうなふりをして
生きてきたように思います。
でも、本当の気持ちは
息苦しくて辛くて仕方がない。
けれどその苦しさに耐えることで
自己実現に向かえると
勘違いしていたように思います。
まさに
自作自演の
悲劇のヒロイン、です。
悲劇のヒロイン
自分の強さを証明しようと
自分に無理を押し付け
それをクリアした自分に
満足したかったのかもしれません。
悲劇のヒロインに浸ったおかげか
気づいたら、
もう何の役柄も演じられない
「ただのわたし」
になっていました。
最初は、ぼわ〜んとした感じが
自分になじめませんでした。
でも、その違和感を
なんとかしようとせず
「なるようになる」と
思えるようになっていくと
誰かと比較して
競争したりして
自分にムチ打っていたわたしに
大変だったねぇ!と
言ってあげたくなるほど
気楽になりました。
やっと、
「自然に、そうなる」ということの
意味がわかった気がしています。
戦ってみたからこそ
戦うことの不毛さを知り
葛藤にまみれたからこそ
その不必要さに気づき
これまでと違うやり方を工夫する
のだと思います。
戦うために燃やしていたエネルギーを手放し
もっと楽に生きられるための
新しい工夫をしてみませんか?